
どうもハノイ大学を卒業して3年が経とうとしているベオです。
皆さんお久しぶりです。ハノイ大学を卒業して3年が経とうとしているのでブログで報告をしたいと思います。
最初に結論を述べると悲惨な3年間になりました。
ハノイ大学を卒業直前にVVトークのホアさんという方がヒステリックを起こして、ベトナムフェスティバルおよび千葉国際芸術祭の大貫愛さんがSNSで騒いだことが全ての始まりだと思います。
その後は就職を妨害されたり、VVレッスンのお客さんから詐欺に遭ったりと、物語が書けそうなくらい悲惨な3年間でした。
そのため、どんな感じで3年間を失ったのかを紹介します。
この記事の目次
VVトークのホアさんはストーカーだと騒ぎ警察沙汰にされた
左下のおばちゃんのホアさんという方とVVトークを運営していました。
「ルールでそれは出来ない」と伝えたら、ヒステリックを起こして、ベトナムフェスティバルおよび千葉国際芸術の大貫愛さんと2人でSNSで騒いで、最後はストーカーとまで言い始めて警察に通報されました。
警察も最初は「交番名を言うとホアさんの住所が特定されるから言えない」と話していましたが、事情聴取でホアさんと大貫愛さんとの経緯を全て話したら、警察もこの女性達2人がおかしいと言って。
「月島交番」と言っていました。
もし私がストーカーなら警察は「月島交番」などとは絶対に言いません。
人生は理不尽の連続
千葉市の人や活動が主役となる新しい芸術祭を目指していきますので、ぜひ参加や応援をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします!
(地域リーダーズメンバー:西山芽衣、いわさわたかし、佐藤大介、中田一会、渥美雅史、いわさわひとし、佐々木美佐子、岡 知里、土田 誠、大貫 愛、胡 听雨、黄 志逍)
半年間無料レッスンを受講するだけ受講して、SNSで大騒ぎして炎上に火を付けていった大貫愛さんは、現在は何の罪の意識もなく千葉国際芸術という団体で活動されています。
人の人生を壊した自覚もなく、無料レッスンを半年間受講をした感謝もなく営業妨害をするような方が、このような活動をすることに疑問を持ちます。
詳しくはVVトーク事件をお読みください
就職を妨害された
ホアさんや大貫愛さん達に起こされたVVトーク事件でメンタルが疲弊していたため、1回ベトナムから距離を置きたいと思いました。
大学を卒業をする前くらいから「弊社で働きませんか?」と連絡をくださる会社があり、そこに就職をする予定でしたが、様々な妨害活動をされました。
台湾で事業を行う会社だったのですが「彼は反社」だとか色んなことを台湾領事館に噂を流されて、無犯罪証明書など出しましたが、ビザを発給してもらうことが出来ませんでした。
何度台湾領事館に通ったか分かりませんが、誰が妨害活動を行なっていたかは把握しています。
3年間VVレッスンを受講したお客さんからの詐欺事件
2018年1月31日(水)
ハーブティー・健康茶販売の㈱クマモト敬和(熊本市中央区保田窪2丁目、宮野敬之社長)はベトナム北部のハナム省に現地法人を設立し、1月からハーブ選別加工業務をベトナムへ移管している。投資額は6千万円
VVレッスンの受講者様に西住孝行さんという80歳の方がいました。ハナム省で製造業をされており、その方にベトナムの製造業で働きたいと相談したところ。
「弊社で働きますか?」とお声をかけてくださりました。
3年間受講してくださったお客様だったので、私も安心して就職したら、8ヶ月間1円も給与を頂けませんでした。
南阿蘇ティーハウスの被害者は何人もいる
給与を支払われずに、それをSNSで訴えたら日本国内の日本人の方々も給与未払いの被害に遭っていました。
私は給与を払う気もないのに雇われて、日本橋店、心斎橋店、小倉店、農園など多くの従業員達も数ヶ月間給与未払いで労基に駆け込んでいました。
ハノイ大学を卒業してから1年半以上が経過していて、半ばメンタルをやられていました。
VVトーク事件がなかったら?
ホアさんや大貫愛さんが私を貶めようとしなければ、違う世界線があった気がします。
ハノイ大学を卒業して、普通にサラリーマンとして生きていく道をあの2人に壊されたと思う日々がずっと続いています。
大貫愛さんとか、今後も「ベトナムフェスティバルで宣伝部をしていました」と言って、色んな所に顔を出すんだろうなと思うと、羨ましい厚顔無恥だなとも思います。
旅するフォーのKIKIさんみたいに納税せずに生きていきたい
ハノイ大学を卒業と同時に警察沙汰の騒ぎを起こされ、就職を妨害され、その後はお客さんから詐欺に遭い。同時に超円安が来て大変でした。
それでも納税をしなきゃいけないので、税金を払うために生きていた3年間でした。
その間、旅するフォーのKIKIさんは日越に納税せずに、そのお金で旅をしていたと思うと羨ましい限りですが。ルールは守った方が良いので、私は悲惨な日々を送っていましたが、ルールだけは守ろうと考えています。
以上が3年間の報告です。