皆さんお久しぶりです。
大学4年生は本当に忙しくて記事の執筆が出来ませんでしたが、授業も試験も全て終わったため、卒業までの1ヶ月間に色々と記事を更新できればと考えております。
このブログも開設して4年近く経ち、今じゃ本当に不思議な気持ちでいっぱいです。
今回の記事では4年前に父親に宛てた「留学への決意や想い」を綴った手紙を公開したいと思います。
28歳から片道燃料(資金200万円)もなく、ハノイ大学に正規留学した僕がどんな想いで留学に踏み切ったのか?
気になる方はぜひご覧ください。
どうして28歳という年齢で大学に行こうと思ったのか?
上の写真は大学3年生(当時30歳)の頃の写真ですが、私は28歳でハノイ大学に入学しました。
本来であれば18歳や19歳で大学に入学するのが普通だと思いますが、私は人よりも10年間も遅れて大学に進学することになりました。
ただ年齢も年齢だったため、進学を決意する前は「人生飛車角落ち」という絶望感しかありませんでした。
親ガチャで失敗?小中高と通わなかった僕の人生
私自身のプロフィールでも紹介しておりますが、私はネグレクト環境で育ち、小学6年生の頃の成績表には「できる」が1つしかありませんでした。
小学校卒業時の体重も28キロしかなく、中学校卒業と同時に肉体労働者として県外に働きに行きました。
学歴も能力もない私は良い仕事にありつけることはなく、年齢と共に周囲の同世代と自分を比較していき、自信を失っていき、人と会うことすら億劫になっていきました。
そのため「ベトナムの大学に進学する」ということは、誰にも話さずハノイ大学に入学しました。
どん底の人生・人生を挽回していきたい
上のメールの下書きは父親に送った手紙の下書きで2018年4月3日に書きました。
手紙を書いた理由は前日に父親と口論になったためです。
28歳から留学するということは、当然ながら両親には理解できないことでした。
年老いて産んだ子供が私で、私がハノイ大学に入学する時の両親は60代半ばを過ぎていましたし、小中高とまともに通っていない私が大学に行くと言ってるので父親からするとフザケルナと思ったかもしれません。
私自身は自分の人生を少しでも好転させたいと留学を決意していましたが、現実は片道燃料の資金もなく焦燥感に駆られていました。
そのため、ベトナム留学する前から失敗できないプレッシャーに駆られて鬱に近い状態で、2018年4月2日に父親と口論となりました。
ただ罪悪感もあり、翌日に自分自身の気持ちを文章に残し、印刷して父親に渡しました。
父親に宛てた手紙の内容を紹介
自身の現状を深く見つめた結果、私は留学に行く事に決めました。
競争社会の中で、自分自身とこの家系がどのように存続するべきかを深く考えた結果
自分自身が栄え、家族が栄え、地域と共に発展していかなきゃいけないと強く思っています。
このような喜びを共有することは、先祖が遺した教えであり、私も常に心の中に持ち続けています。
私が最初に英語と中国語を勉強したのは、世界に対して大きな影響を持っている言語という理由でしたが、今後の日本の自立と安定を願うには、他国の協力が必要不可欠で、ベトナムは日本にとって最重要国の1つであると考えています。
英語と中国語を学ぶ為に自分自身で働き、お金を蓄え、これまで努力と最善を尽くしましたが、圧倒的な経済支援を受ける周りの人達との競争は厳しく、自分自身の状況も、社会的な立場も私に有利ではありません。
その上、このまま現状通りに人生を進めば、経済的にも家系の滅亡に繋がると考えており。何も手を打たなければ、私自身の衰退を招くだけでなく、我が家系も滅亡してしまう事となります。
そんなことになってしまえば、多くの未来の繁栄を築き、現代までバトンを繋げてきた先祖の霊に、私はどう謝罪をすればよいのか分かりません。
先祖が今の我が家の現状を顧みて、どう思っているのか?想像するだけで胸が痛くなります。
そこを考えるだけで申し訳が立たなく、だからこそ行動が必要だと考えています。
このような考えや想いが、留学に行き周りに絶対に負けない能力を手にする。そして社会に貢献できる人間へと成長したいという考えに至りました。
昨日親父に罵声を浴びせた事に対して、悪い事をしたという罪悪感があります。私は真剣に家族の現状を見つめているからこそ、出てしまった罵声だと理解して頂きたいです。
今後ベトナムの人口は1億人を突破する事になり、益々経済発展していく事になります。
東アジアの平和と安定の為に、日本に協力してくれる友好国であるベトナムに対して私は感謝でいっぱいです。
今後の発展と繁栄という未来を見るベトナムは希望に溢れています。
その為に、これから私にとってベトナムで学ぶ事は非常に大切な事だと考えています。
「定職に就け」という私の周囲の方々が、私に対して思っている事も私は深く理解しています。
それでも私は時代の運命と自分自身の可能性を信じて、これからもずっと続いていく未来の為に留学という道を歩みます。
私はそこで自分自身の存続を守り、家系の明るい未来を信じ、常に希望と共にある事を信じています。
私の留学という選択の責任は重く、道は遠いことも心に留めています。
この留学を未来の繁栄の為に傾け、道義を大切にして時代の流れに遅れないようにしたいです。
これらが私の意志だと思い、見届けてください。
4年間の留学生活を終えて見つけた1つの答え
左は私の祖父で右が私です。
祖父が20代の青春を大東亜戦争に捧げて、シベリア抑留の被害に遭いながらも必死に日本に帰還してくださったため、私自身もこの世に産まれることが出来ました。
しかしながら、留学前から祖父や先祖の方々から頂いた命(人生)を大切に出来ていないと日々悩んでいました。
人生どん底でも過去の方々に感謝を忘れず、その想いが原動力となり挑戦できたと思います。
大学生活4年間で「試験には正解が1つしかないけど、人生にはたくさんの正解がある」と知ることができました。
挑戦もしてないのになぜ答えが分かる?
留学前に書いたブログ理念にも自分自身が繁栄すると書いています。
4年前は卒業をできるか分かりませんでしたが、卒業まで残り1ヶ月となっています。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」とは人生においても言えるのかもしれませんね。
最後に
2022年5月27日の今現在、大学生活の全ての授業と試験が終わりました。
あとは通訳の試験の結果を待ち、合格できていれば無事にハノイ大学を卒業できます。
28歳から大学に進学するということじたい珍しいと思いますが、大学2年生の頃に自分自身の会社までつくって、今では本当にハノイ大学に進学して良かったと強く感じています。
4年前の私自身の選択は間違えではなく、足跡の少ない道を進んだ自分自身を少しだけ褒めたいです。
大学生活も落ち着いて時間ができたため、今日は久しぶりにブログの記事を更新しました。
今後はハノイ大学やその他の大学に進学している方々に記事執筆の依頼を出そうと思います。
また更新しますので、よろしくお願い致します。