
皆さん、タイトルにもある通りハノイ大学を卒業して、32歳で遂に大卒となりました。
このブログを始めて4年が経ちますが、ブログを始めた当初は、大学を卒業出来るかなど分かりませんでした。


このブログで、時にハノイ大学に対して罵詈雑言を書いたりもしました。
でも卒業をした瞬間に、ハノイ大学に4年間通えて良かったと思う自分が強くいます。
私が過ごしたハノイ大学の4年間が気になる方は、ぜひお読みください。
ハノイ大学の4年間を振り返ってみる
YouTubeで卒業式の動画をアップするので、今回の内容は「大学4年間を振り返ってみる」という内容を紹介したいと思います。
- 入学前
- 大学生1年目
- 死んだ2年生
- 遊び尽くした3年生
- 地獄の4年生
- 卒業
長文にならないように箇条書きで書いていきますので、引き続きお読みください。
28歳でハノイ大学に入学する前の心境は?
最近の動画でも話したのですが、28歳から大学に入ることは絶望感しかありませんでした。
- 28歳ともう若くない
- 周囲の同世代と自分を比較して自信を失くす
- 学歴もないし手に職もない
- 人に会うことすら億劫になっていった
このまま人生を進んでしまえば、人生を積んでしまう。
だから片道燃料で後がなくても挑戦するしかないと思い、ハノイ大学に入学しました。
ハノイ大学に入学してみてどう思った?
上の写真は入学後のオリエンテーションの話です。オリエンテーションは凄く雰囲気が良くて、4年間楽しめそうという感覚だったことを今でも覚えています。
ただ現実は違い、ハノイ大学に騙されたと思い。入学2週間で心が折れました。
最初に聞いていた話と違うくて、ベトナム語をほぼ勉強していない私は、一瞬で授業についていけなくなりました。
カルチャーショックを受けた最初の試験
多くの中韓の学生達が堂々とカンニングをしている
名前を各欄や生年月日、国籍などすべてベトナムで書かれており、問題もすべてベトナム語で質問されて、作文まで書かされるという内容で衝撃を受けた事を今でも覚えています。
そして会場には70人くらいいましたが、スマホを使って堂々とカンニングをする学生達がたくさんいて、これまた衝撃を受けました。
2年生になって完全に心が折れて休学も考えた
1年生の2週目から授業について行けなくなった私は、ただ単位を取るためだけに出席するようになりました。
幾度予習しても授業は難しいし、先生の話すスピードも速くて何を言っているのか分からない。
そんな感じで私は在籍しているのが辛く、毎日ただ出席だけするという感じの日々を過ごしていました。
2年生の頭から起業を視野に入れて実際に実行した
大学の授業について行けないから、せめて何か傷跡を残そうとアイディアを活かして起業を考えるようになりました。
そして2年生の前期が始まって3ヶ月後に「株式会社リスタートゼロ」を設立して、VVレッスンという事業を始めました。
ただビジネスを始めたことで、ますます授業についていけなくなりました。
コロナの到来
2年生の後期に入る直前にコロナが到来しました。
前期で株式会社を設立して、事業を開始したのですが、コロナが到来したことで、2年生の後期から卒業まで大学の授業が全てオンラインになりました。
そのため、私自身が大学に通学したのは実質1年半だけです。
- 大学の授業について行けない
- コロナのロックダウンでメンタル崩壊
- ビジネスのことしか考えられない
そんな感じで、大学2年生も授業についていけず、2年生の終わりには「休学希望」を大学側に相談したのですが、
「休学したらビザの延長ができない」と言われて、仕方がなく3年生に進級をしました。
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毎日カジノに通い、事業も拡大して自信がついた3年生
大学3年生になると悟りを開いていました。
大学の授業にはもうついていけない。もう来年には自主退学だと考えていました。
起業したと言っても事業は軌道に乗っていないので、最初の1年間は給与も取りませんでした。
片道燃料の資金もないのに大学に進学して、成り行きで会社をつくったことで、貯金額も会社に残った18万円と、自分自身の貯金額が70万円程度にまで減ってしまいました。
100万円にも満たない貯金額で、大学3年生と4年生を過ごさなければなりません。
そこで私は明日の飯のために、毎日カジノに通うこととなりました。
カジノで全戦全勝の毎日
大学はオンラインなので、大学に通う必要がありません。
そのためイヤホンを耳にあて授業にだけ出席して、毎日カジノに通いました。
私が通っていたカジノは100ドル払えば、150ドルのチップをくれるカジノでした。
そのため、その50ドルで勝負して、100ドルは翌日の軍資金として残していました。
カジノは統計学で、絶対に負けない方法など調べまくり、毎日ルーレットに張り付いて、50ドルをいかに増やすかに熱中していました。
100ドル払って、150ドルをもらえるカジノなど今となっては不思議で仕方がありません。
お金のない私にとってオンライン授業とカジノは私の生活を後押しして、毎月10万円ほど勝つようになっていました。
事業も日々成長して色んな人と会うようになった
入学した当時は28歳のただの大学生で、自分が惨めで仕方がなく、人と会うことが億劫でした。
しかし29歳で会社をつくり、YouTube活動などしていくうちに、色んな方からDMを頂くようになり、色んな方々とお会いするようになりました。
会社から給与をとっていない分、カジノで買ったお金と会社の経費で色んな所へ行き、本当に色んな方とお会いしましたし、色んな方とハノイでもお会いできるようになりました。
そのため3年生で休学せずに、大学を続けて良かったと思うばかりです。
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留年を覚悟した4年生・地獄の1年間を味わう
1年生でメンタルをやられ、2年生で心が折れて、3年生は開き直って遊び呆けて、気がつけば大学4年生です。
1年後には大学を卒業できるかもしれない・・・・
3年間ダメ人間だった私は、卒業が目前に迫った瞬間になぜか急にやる気になったのです。
ハノイ大学からの地獄の通知・7科目で17単位も落としていた
私は大学3年生までに7科目17単位も落としていたのです。
これから4年生の授業が始まるのに、7科目も別に授業を受けて各個撃破をしなくてはなりませんでした。
それでも、ここから私管理人の挽回戦が始まるのです。
オンラインだから同時に3コマ受講して単位争奪戦を制する
オフラインだと複数コマ同時に受講など物理的に不可能ですが、大学はコロナでオンライン授業のため、午前中3コマ同時に受講、午後も2〜3コマ同時に受講で1年間頑張りました。
パソコン複数台を並べて、ここまで来たら絶対に卒業してやるという想いで、メンタルが崩壊しながら、とにかく頑張りました。
ハノイ大学からの救済処置もあり、なんとか大学4年間分の全ての単位を取ることができました。
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最後に
今回の記事では私の大学4年間をありのままに紹介しました。
この4年間は本当に辛くて、地獄のような4年間でしたが、4年経った今では本当にハノイ大学に通えて良かったと感謝しかありません。
卒業式の動画は近々YouTubeに公開します。
大学生らしからぬ4年間でしたが、私のような人間もいても良いのかな?と思ったりもします。
また紹介したい内容があれば紹介していきます。