
2週間ほど前の話なのですが、9月2日はベトナムの独立記念日でした。
なのでその日はアパート周辺のレストランのほとんどが閉まっており、何も食べるモノがありませんでした。
なので、「欲しがりません勝つまでは」と言いながら部屋に引きこもってたのですが。
実はベトナムの独立記念日と日本の終戦・ポツダム宣言の調印は物凄く関係があります。
そして昨日、安倍晋三首相がシベリア抑留についてツイッターで呟かれていました
ウラジオストクから北に40km。戦後、旧ソ連に抑留されお亡くなりになった方々の御霊に、哀悼の誠を捧げました。 pic.twitter.com/3raSrXsatT
— 安倍晋三 (@AbeShinzo) 2018年9月13日
シベリア抑留と言えば、私の祖父も満州国の関東軍憲兵隊に配属され、共産主義南下を必死に食い止めてたのですが、結果は敗戦で、その後はシベリア抑留も経験しております。
(祖国日本の為に戦ってくださった私の祖父)
生きて帰還された祖父がいるから、今私が生きている為に、祖父の為にもこの頂いた命を大切にしなければと強く思っています!
話を戻し、今日の記事で書いていこうと思う内容は「基本的に触れてはいけない内容」だとは思います。
しかし個人的な知的好奇心がくすぐり、ベトナム人の先生に、「独立記念日と大東亜戦争および旧日本軍による仏印進駐」について話をしてみた内容を書いていこうと思います。
ちなみに私の祖父が共産主義と戦っていたので、僕は若干日本を擁護側にまわるかもしれませんが、論理と時系列に従い、様々な歴史観に触れていこうと思います。
(*注意:この記事では大東亜戦争と言う言葉を使用します。なぜならインド・インパールにかけては、もはや太平洋は全然関係がないので舞台はインド洋を含むという理論を採用します)
それとこのブログでは論理を大切にしています。
なので感情論でしかモノを考えれない方は、気分を害されると思いますので、読まない方が良いかもしれません!笑
何が言いたいかと言いますと、物事の全てにおいて「原因と結果」があります
なので大切なのは「○○という事が原因で〇〇が発生した」「だから○○という結果になった」
このような見方で、ベトナム人の先生とお互いの歴史観を語り合ったので、感情的にならず一緒に時系列を見ていきましょう
最近同世代の防衛大卒で国防に従事されている方が言ってたのですが、「無知は闇、当時の国際情勢や時系列など把握せず、ただ戦争反対と叫ぶシールズなどは最悪」と言われてたので
「先ずは知る事から」始めましょう!
平成生まれの若造が歴史をざっくり語ります、ベトナム人に論理的に語ってみた内容です。
是非ご覧ください
先生この地図を見ても日本の侵略戦争だと言えますか?!
欧米列強による植民地支配
最初になぜ「大東亜戦争が起こったのか?!」を1言にまとめると
- 黒船が来たからです
150年ほど前に、日本は電気もない国で、当時侍がたくさんいて鎖国をしており物凄く平和な国でした。
しかしそこに教科書で教わるペリー提督が日本にやって来て、大砲を突きつけ日本に開国を要求する訳です
なのでペリー提督が来なければ、第二次世界大戦は起きなかったという理屈が完成するのですが、こんな理屈だと流石に怒られると思いますので、ベトナム人の先生に1つの地図を見せました
先生この地図は何の地図か分かる?!
読者の皆様も一緒に推測をしてみてください
皆様正解は分かりましたか?!
では答えを言いましょう・・・・
1941年の大英帝国の地図です
日本が侵略戦争を起こした時のイギリスの地図なのですが、カナダ、オセアニア、西アジア、アフリカ縦断、この赤い部分の地図は全て当時のイギリス領で、当時イギリスは歴史上世界最大の帝国を誇っていました
頭の賢い方はお気づきかもしれませんが「イギリスってめちゃくちゃ世界中を侵略しまくりじゃん」って思いましたよね?!
そのように客観的に物事を見れているのなら、あなたの知能指数に問題がないと思いますので安心してください。
次は別のアジアの国を見て見ましょう
1941年の日本が真珠湾攻撃とマレー沖海戦を起こす前の地図です
- ベトナムはフランス領土
- フィリピンはアメリカの領土
- インドネシアはオランダの領土
- マレーシア、シンガポール、ミャンマー、インドなどは大英帝国(イギリス)の領土でした
あれ?75年前のアジアって欧米諸国に植民地にされていたの?!
実は残念な事にそうなんです、アジア諸国でも色々としがらみがありました
例えばフィリピンは350年間スペインに植民地支配を受けてたのですが、「アメリカースペイン戦争」でアメリカがスペインに勝ったので、アメリカがスペインからフィリピンを奪いました。
インドネシアもオランダから300年に渡り植民地支配を受けていました。
世界中が帝国主義時代で、実は日本だけが悪い事をしたという認識は、実は誤りなのかもしれません。
世界地図から見る植民地支配
この地図は1914年の地図です・・・・
灰色の部分以外は全て欧米列強の植民地支配を受けていました。植民地奴隷ではないのは、「中国」と「タイ」くらいですよね?
当時は帝国主義時代だったのです
「こんな世界情勢はおかしい、有色人種に対する差別をやめるべきだ」と1919年に極東の小国日本が世界に対して「人種的差別撤廃提案」を提出します
今から100年前の事実です
賛成
大日本帝国 (2票)
フランス (2票) - 委員の一人はレオン・ブルジョワ元首相
イタリア王国 (2票) - 委員の一人はヴィットーリオ・エマヌエーレ・オルランド首相
ギリシャ王国 (1票) - エレフテリオス・ヴェニゼロス首相
セルブ・クロアート・スロヴェーヌ王国(後のユーゴスラビア王国) (1票)
チェコスロバキア (1票)
ポルトガル (1票)
中華民国 (1票)
総計11票反対または保留
アメリカ合衆国 (1票) - アメリカ代表委員の一人ウィルソンは議長のため投票に不参加
イギリス (1票)
ブラジル (1票)
ポーランド (1票) - ポーランドは倫理上の観点からではなく、条文に規定がない提案を前文に挿入することは規約の構成上問題があるという法理学上の観点から反対意見を述べている[25]。
ルーマニア王国 (1票)
総計5票
多くの国が日本が提案する人種差別撤廃条約を支持していましたが、議長国であるアメリカやイギリスは多くの植民地を抱えていますので、日本の提案に対して「ふざけんな」と言って、もちろん反対をしました。
この構図が、後々の第二次世界大戦にも影響を与えますが、長くなるので省略します!笑
あれ日本ってまともな事を言っている?!って思えた貴方は、知能指数が正常なので気にしないでください。
中国やロシアとの外交と戦争
上の地図をみてください。灰色の部分は植民地支配を受けていません。中国も植民地ではありませんね。
この灰色の中国を巡って、各国が熾烈な争いを起こすのですが、長くなるので簡単に説明しますと・・・
最初にロシアが中国の北部を取っちゃいました。その後ロシアは領土拡大に野心を燃やして、どんどん南下していきます。
中国の遼東半島あたりまでロシアが領土を拡大して来ました。(ちなみにドイツやイギリスなど計11カ国ほども中国の一部領土を取っていましたww)
ここ遼東半島まで恐ロシアが来てしまうと、日本にとってロシアは目と鼻の先にいる存在で、次は朝鮮や日本に迫ってくるのではないのか?
このような強迫観念の心理にかられて、日本はロシアと戦争をします。
いわゆる日露戦争です。東郷平八郎や乃木希典、秋山真之などの活躍があり
良いですか皆さん?めちゃくちゃ大切な事を言います
戦争に負けたロシアが中国東北部(満州)の鉄道などの権益を日本に譲りました
日本が中国から取ったのではなくて、ロシアが日本にくれました。
そして当時中国は「清国」という名前だったのですが、清国もロシアが怖いから、是非日本にいてくださいというような感じで条約が締結されていきます。
いわゆるポーツマス条約です
ただその後、清国(中国)で辛亥革命が起こり、中華民国となった中国は、「日本が中国東北を侵略したー」って騒ぎ出すのですが、長くなるので仏印進駐まで一気に省略します!笑
仏印進駐の原因は?!
何で日本はベトナムへ進軍したの?!
理由は日中戦争が起こっており援蒋ルート遮断などいくつかあるのですが
簡単に説明しますと、第二次世界大戦は太平洋戦線とヨーロッパ戦線で分かれていました。
当時日本とドイツは同盟国でしたので、その同盟国ドイツがフランスと戦争を始めたので、それの加勢として日本はフランス領印度支那(ベトナム)に進軍しました。
結果はフランスもドイツに降伏し、ベトナムも日本の統治下に入りました。
原因は同盟国を助ける為にフランスを倒す、当時ベトナムはフランス領だったので、論理的にこのような結果になります。
ただこれが、大東亜戦争の引き金になったとも言われています
ベトナムの独立記念日とポツダム宣言
そもそも何で日本は戦争を始めたの?
本当はブロック経済や世界恐慌なども、見ていかなければなりませんが、長くなりますので省略します
簡単に説明すると「実は日本は戦争をしたくありませんでした」
ただ日本は世界から「死ね」と言われたのです。
この地図を見て分かる通り、いわゆるABCD包囲網が完成し、日本はアメリカから石油を止められました。
石油がないとどんな事が起こるのか?!
工場が稼働できません、そうなると仕事が止まり失業者が溢れかえります、そして日本経済は大暴落です。
日本は戦争をしても滅亡、戦争をしなくても滅亡してしまう状況に追い込まれてしまい、石油を求めて日米和平交渉を行なっていましたが、交渉は決裂し、真珠湾攻撃、マレー沖海戦へと繋がっていき、気がつけばインドのインパールあたりまで陸軍は進み、南はオーストラリア、東はハワイ、北は満州。
めちゃくちゃな戦争目的と計画によって、日本は敗戦を迎えます。
日本は8月15日に玉音放送を流し、ポツダム宣言を受諾したとし、日本では8月15日が終戦の日です、ただポツダム宣言調印は9月2日に行われました。
ベトナムではこの日本のポツダム宣言調印の日が、ベトナムの独立記念日となっています。
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勝者の歴史観と敗者の歴史観
日本は侵略国家?!
論理的に見てみましょう、確かに日本は侵略国家です
しかし見方を変えたら、アジア諸国を侵略している欧米列強諸国と、「アジアを舞台」に戦争をしていました。
なので日本もアジアを侵略していますが、先にアジア諸国を侵略している白色人種が、アジアを植民地としていて、日本も石油を止められ、連合国と戦争をしましたが、果たして日本だけが侵略になるのか?って事も議論の論点に含めるべきだと個人的には思います。
イギリスはインドに対して謝罪をしたでしょうか?!
むしろイギリスやアメリカも日本に対して「侵略国家」と言っています
論理的に見たらどうなんでしょうか?!
それはアナタの知能指数が判断すると思います
正直連合国の方が客観的にヤバイ事ばかりしてます。東京大空襲や原爆投下は一般市民を大虐殺した事実です、証拠もたくさんありますよね
しかし旧日本軍のあること ないこと ないこと ない事を東京裁判などで追求しまくり、証言は証拠にならないのに、ただの証言だけで判決を下したり、その東京裁判のめちゃくちゃな判決が確実に戦後の歴史教育に確かな歪みをもたらしているのも事実です
最後にまとめ
- 黒船が来なければ日本は平和だった
- 当時は帝国主義時代で欧米列強の植民地支配が続いていた
- 日本だけが侵略国家ではありません
- ベトナムの独立記念日とポツダム宣言調印は直接関係がある
- 東京裁判は事後法で裁き、それを信じる日本人が未だにいる
これらの事をベトナム人の先生に、論理的に丁寧に説明したら物凄く驚いていました
ベトナム人の先生の日本の侵略に対するイメージは、「日本はアジアを支配したい」と今まで思っていたそうなのですが、このように時系列に従い論理的に説明してあげれば、頭の良いベトナム人も当時の国際情勢を含む歴史を理解出来ます。
ベトナムでは独立記念は、フランスから勝ち取ったものとベトナムでは教わると言っています。
しかし「日本がポツダム宣言調印」した日が、ベトナム独立記念日なのですが、ベトナムではフランスから独立を勝ち取った教えています。
僕は歴史が大好きなので、感情論で歴史を見たりしません、特に近代史が大好きで、明治維新以降から終戦までの道のりは、日付けに沿って物凄く勉強したと自負しています。
歴史を含めて物事には基本的に原因と結果があります
原因と結果を見ていきましょう!
何で?どのようにして?だからこうなった!
今日は留学とは関係のない記事ですみません、また更新します。